
教科書が書き換わる
夏王朝は実在した ![]() |
この集英社版・学習漫画「中国の歴史」=大黄河と万里の長城=がずばり表現している。
「暴れ川・黄河を制するものが天下を治める」といわれるように
夏王朝の始祖は大洪水を治めた禹(う)である。禹は父が治水に失敗、そのあとを継ぎ”ともらい合戦”で父子2代の悲願の治水に成功。 伝説上の聖天子・舜(しゅん)から帝位を禅譲されて王朝を興した。 その後、世襲で17代続いた。最後の王・桀(けつ)王は暴君と化してついに追放された。 四百三十年の歴史に幕を引いた。殷の湯王である。 しかし、夏王朝の存在を証明する信頼に値する遺跡類が見つからず、夏王朝は”神話の世界” とどまっている。
「殷と周 黄河中・下流域には城壁でかこまれた都市が発達し、やがてそれらを統合する
広域的な王朝国家が成立してくる。伝説では夏王朝が中国の最初の王朝とされるが、その王都の所在は 確認されておらず、現在確認される最古の王朝は夏につづいておこったとされる殷(商)である。 20世紀はじめの殷墟(河南省安陽市)の発掘によって、甲骨文字を刻んだ大量の亀甲・獣骨 や、多数の人畜が殉葬された王墓および大きな宮殿跡が発見され、殷王朝が前二千年紀に実在したことがはっきりと証明された。」 前述は山川出版社の「詳説 世界史」であるがさすがに詳しく夏王朝のことも書き込んでいる。 しかし、「最初の国家が殷である」(明解 世界史A=帝国書院)と夏王朝に触れないものが大半である。 左の図のように「中国王朝表」はすべて殷から始まり「夏」は一切書き込まれていない。 これが日本の学界の定説になっているからだろう。
文献だけの存在だった夏王朝が考古学者のたゆまない努力でようやくヴェールを脱いだ。 河南省偃師(えんし)市にある二里頭(にとうり)遺跡は夏王朝の最後の都であり、その6キロ東で発見された偃師城遺跡は それを攻略した殷湯王の都であることが判明した。 二里頭(にとうり)遺跡からは数カ所の宮殿跡が見つかり、青銅器や土器、それに青銅器鋳造工房跡も発見されている。 夏王朝は紀元前2070年ごろから始まり、殷への交代は紀元前1600年ごろ」と見られている。 まさに中国悠久の4000年は夏王朝から始まったことになる。 (夏王朝 王権誕生の考古学 岡村秀典*著=講談社を参考にしました。)
すると、禹(う)も古代神話の王から実在の人物に変わるのだろうか? ![]() |