蝶々夫人は幼な妻だった!

帯の解き方も知らぬ十五歳で、援助交際の果て

蝶々夫人、イタリア・オペラ座初演のポスター
オペラOPERAが初登場。
蝶々夫人というよりMadam Butterflyマダム・バタフライで知られる 日本を舞台にしたプッチーニの名作オペラ。
アリア「ある晴れた日に」が超有名だ。
(注:画像の上に矢印のカーソルを持って行くと画像の説明文が現れます)

♪ある晴れた日に
海のはるかかなたに煙がひとすじ見え船の姿が現れる
真白い船が港に入ってくると礼砲がひびきわたる
見える?
帰っていらしたのよ!

一部フィクションはあるだろうがこれは実話なのだ。
ストーリーを紹介すると
時は幕末から明治、舞台は長崎。
アブラハム・リンカーン号に乗るアメリカ海軍中尉ピンカートンは芸者だった蝶々さん を身請けして結婚式をあげる。蝶々さん彼とのアメリカでの生活を夢見て キリスト教に改宗する。親類縁者からはこの時点で見放されてしまう。
蝶々さんは心底ピンカートンにほれていた。ここが悲劇の始まりなのだ。
楽しく甘い”新婚生活”はつかのまだった。ピンカートンは港、みなとの”現地妻”の 一人として蝶々さんを見ていた。
夫ピンカートンは「駒鳥が巣を作る季節に戻る」との言葉を残して日本を去った。
駒鳥が巣を作ってもピンカートンは帰ってこなかった。
ひたすら夫の帰りを信じて待つ、蝶々さん。
「ある晴れた日に」のアリアは第2幕の涙を誘うシーンに歌われる。
夫の留守を生まれた子供と共にひたすら待つ蝶々さん。ついに沖合いのピンカートンを乗せた アブラハム・リンカーン号が帰ってきた。夫ピンカートンが帰ってきた。
しかし、ピンカートンはアメリカ人の新しい妻と共に・・・・。
ドラマは急転!
蝶々さんは子供をアメリカ人二人に託して、ヤマトナデシコらしく短刀自殺する。
あぁ・・・・。

国辱的ストーリーなのだ。衝撃の事実が浮かび上がった。
それに蝶々さんがピンカートンと結ばれたのは 十五歳だった。今なら中学三年生。
いうならピンカートンが援助交際の果てに、未成年の少女を買って(身請け)して 帯の解き方も知らぬ蝶々さんを幼妻とした。ピンカートンはロリコンだった。


オペラ、一度は見てください。
このオペラの中には「君が代」や「さくら」それに「お江戸日本橋」の調べまで入っています。
このオペラはイタリア語なのでタイトルはMADAMA BUTTERFLYになっています。
蝶々さんはCIO−CIO SANと書かれています。
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