

| 楊貴妃> ようきひ |
貂嬋 ちょうせん |
王昭君> おうしょうくん |
西施 せいし | 落花美人 |
閉月美人 |
落雁美人 |
沈魚美人 |
| 唐時代700年代。唐の六代皇帝・玄宗がその美貌にほれて18人目の息子の嫁を召し上げて自分の妃にした。玄宗皇帝61歳、楊貴妃は21歳。時に当時世界で最大の都市だった長安は牡丹の花が盛りだったと言う。玄宗皇帝が安録山の乱に敗れ、楊貴妃は密かに中国を脱出して日本に漂流。山口県油谷町に楊貴妃の墓がある。 | 三国時代180年ごろ。あの三国志演義を彩る美女歌姫。正史にはその名を見つけることが出来ない。後漢の大官・王允(おういん)を助けようと横暴を尽くす二人の武将・薫卓とその養子・呂布(りょうふ)の間に入り三角関係をつくらせる。これを”連環の計”という。この計略で貂嬋の虜になった呂布は薫卓を殺してしまう。 | 前漢朝末期紀元前30年ごろ。長城のむこうにはドンナ世界が開けているのか?隣国・匈奴との和睦のために漢の後宮から嫁いだ。やらせで醜女に似顔絵を描かれたばかりに 。皇帝は匈奴の王に与える前に王昭君の対面するが彼女は後宮一の美女だった。しかしどうすることも出来ずに匈奴の妃として与えた。 | 紀元前。その美貌度、知名度では中国ではあの楊貴妃をしのぐ。越王・句践(こうせん)は歌舞音曲を教えこみ、呉王・夫差に献上として嫁がす。好色で快楽的な夫差はその美貌についにおぼれ国を滅ぼす。宝塚歌劇は「愛 燃える」と舞台化。また芭蕉は奥の細道で「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠っている。 |
*傾城(けいせい)・傾国の美女:中国の故事「一顧傾人城、再顧傾人城」(一度会えば城が傾き、再び会えば国が傾く)ほどの
美人。日本では遊女(特に太夫)を“傾城”と呼んだ。
*貂嬋(ちょうせん)について表記では貂”蝉”とするものもあるが中国からのものに従った。
<注>スペシャル名画は、中国からの土産お菓子のパッケージ。Made by Macy's Candies Limited in Hong Kong

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